80年代うまれ(かながわ県)

80年代うまれの思い出し日記

スペランカー・ある探検家の手記

 これはスミソニアン博物館に保管されている洞窟探検家の手記である。彼の単独洞窟探検の報告がギリシャイオニア地方ではイオニア学派へ、イタリアのルカニアではエレア派への実践をうながし、ついには日本の首都圏、横浜市中区、横浜市南区横浜市瀬谷区山梨県は山中湖までにも及ぶことになった。我々は彼の遺構を辿ることで偉大なる探検の真実を垣間見ることができるだろう。

 <スペランカー > スグニー・シーヌーンの手記

『探索1日目、リフトの状態は極めて良好だ。わたしはリフトの上で何度か飛び跳ねて、ロープの張り具合を試してみたが、リフトはピクリともしなかった。昇降速度も素晴らしい、ビッグフリー(我々アナグマは外をこう呼ぶ)での綱引きは地元の方々に日本製の懐中時計で頼んだ。

 探索4日目、やはり地下は迷宮になっていた。かなり深くまで層が続いていることがわかった。複雑な地形、無人リフト、間欠泉、有毒ガス、そしてゴーストまでも。わたしの考えはミステイクだった。これまではトルテカ文明人が掘り拡げたものとばかり考えていたが、精製したクリスタルが本日発見できたことでサポテカ文明のものと判明した。ビッグフリーでの発表が楽しみだ。サンディへのいい土産ができた。これで大学側も彼を許してくれるだろう。

 探索23日目、準備してきたダイナマイトの数も少ない、酸素もわずか、無限マシンガンだけではどうにもならない。神よ。

 探索24日目、故郷のママへ   愛しています。』

1985年12月7日、<スペランカー > スグニー・シーヌーンの手記は、日本国においても公表された。我々にもっとも衝撃を与えたのは、探索25日目でおとずれた彼の最期だった。

<スペランカー > スグニー・シーヌーン、地底湖付近、高さ50センチメートルほどの段差で足を踏み外し死亡。死因・ショックによる心停止。

 関係者の話によると以下のとおり。

 「スグニーは虚弱体質なんかじゃない、ただ誰よりも心臓が弱かったんだ。あるときは階段を一段踏み間違えて不整脈に陥り、救急車で運ばれたこともある。不思議なもんだ、巨大コウモリやゴーストには眉ひとつ動かさない男が」

 

 

 

読んでくれてありがとう。明日も元気で!

多分僕もまた来ます。