80年代うまれ(かながわ県)

80年代うまれの思い出し日記

横浜の夢の国とドリームハイツ

かつて夢の国は戸塚にあった。戸塚にあるのに横浜と冠されたのは、千葉にあるのに東京と冠されたのと同じ都合だ。

 80年代うまれの横浜人たちは夢の国にお招きされたものだ。車と、家族と、友達と、ご一緒にお招きされて、渋滞を抜けて、丘陵を上がるとゲートの前に、バッキンガムの衛兵が立っていた。衛兵は日に何千人もお招きした。

 1991年3月の春休み、僕はクラスのなかよし三人組にさそわれて、四人で夢の国へいった。夏にゆけばコースターや潜水艦に乗ったし、冬にゆけば映画もスケートも楽しめた。

 僕はあらゆる期待をすべて持って、夢の国へ出かけていった。だがもう過ぎ去ったことだ、夢の国はいまや大学の敷地になってしまった。近隣の団地にはドリームハイツの名が冠されたが、いかなる都合によるものなのか、僕にはわからない。

 なかよし三人組は空中ブランコに乗りたがった、が、僕は反対だった。忘れさせてほしい。三人組の中には海保さんもいた。僕は海保さんが素晴らしいと感じていた。

 海保さん、僕はもうコーヒーカップでへろへろだったんだよ。

 空中ブランコを降りた僕は、一人でベンチに二時間座ることになった。なかよし三人組はコースター、魔法のじゅうたん、海賊船、動く観覧車とたのしんで、僕の元へ帰ってきた。

「れいち、大丈夫?」と、気づかってくれた海保さんの顔は真に夢の国のそれだった。

 そうそう、ドリームハイツの近くに、品揃えのいい魚屋がある。是非に!

 

 

 

 

 

読んでくれてありがとう。明日も元気で!

多分僕もまた来ます。