80年代うまれ(かながわ県)

80年代うまれの思い出し日記

80年代うまれのスト5とダイエースプレー

「今度、会社の仲間と独立して会社やるかもしれない。だから、いま忙しい」

 友だちからのつれないメール。

 

 スプレー。中学校では、そこもかしこもスプレーの匂いがした。けれども、スプレー缶は見当たらない。横浜市立の中学校の冷たい廊下の消化器が置かれてる窓ぎわの辺りで、僕たちは話していた。

 窓ぎわでは、トイレに向かう女の子二人組や、美術部の生徒、顔しか知らない校長なんかが通り過ぎる姿を眺めながら話したものだ。

 90年代も、80年代みたいに消えてしまった。もう戻らない。僕の靴もすっかり汚れた。中学校の廊下を歩くことはできない。

 僕は中学校へ歩いてみた。青くさい竹林を抜けて、商店の前を通ると、商店はなくなっていた。懐かしい登校はなかなか面白かった。電線のハトが鳴いている。最近では鳩サブレーも食べてないなあ。

 後輩たちを見つけた。幼い顔をしてやがる。誰もが不用意ににやけづらをして、親がつくった幸せを盾に、大人を出しぬこうと、なまくら刀を振り回りしているような格好か。

 僕は再び思いつくままに歩きだした。中学校から駅のほうまで。懐かしき我が町、なんて。ずっとここにいるじゃないか。ここまで歩くとダイエーが見えた。ダイエースプレー

 スプレーの匂いがする。前髪の一本一本をクシで立てて、ドライヤーをあてる。そこへ麦茶の容器くらいあるダイエースプレーをふりかける。無香料はプラスチックが焼けるような匂いだった。女の子たちはケープ、みんな園芸用の三本爪みたいな前髪をしていた。だけど、いちばん臭いスプレーの匂いを発したのは、先生だった。やがて中学校が会社に、授業が仕事に、先生が上司に変わると、スプレーの匂いもしなくなった。くりかえしの朝が来て、洗面所の前から去るとき、いまや僕はいちばん臭いスプレーの匂いを発しているのだ。

 その昼、ダイエーになってしまった忠実屋のフードコートでしょうゆラーメンを食べた。しょうゆラーメンを食べながら、僕は友人にメールを返した。

「そうなんだ。大変だね。がんばって。スト5 にサガット出たから、なんとなくね。じゃあまた」

 

 

 

 

読んでくれてありがとう。明日も元気で!

多分僕もまた来ます。