酔いどれ平屋の賃貸
80年代は平屋の賃貸が僕の家だった。かながわ県横浜市東部で、冬には雪が積もり、春には桜が咲いた。
僕の先生はカマキリやバッタ。教科書は階段脇の草むらに、ハヤトの芝生。教室は家の外半径1.5キロくらいまでで、すべてだった。
ときどき、僕は家の中で学習した。ファミコンも母がいない日には、したい放題だったのだ。ところが、一人だとそこまで楽しくなかった。
平屋の賃貸といったらなかなか狭いので、僕は身体をちぢめて、一人で学習しなければならなかった。もちろん、兄や、姉が帰ってくるまでは自由がある。午後三時から四時半くらいまでが、平屋の賃貸自由時間。
一件のトタン張りの平屋の賃貸が30年を過ぎて、カマキリやバッタを追いかけたり、カナブンをはたき落したり、かと思えば、ファミコンにダブルドラゴン2を差して、僕をずっと見つめている。
僕の学問は12歳までは続いた。そのあとは、初めから最後まで同じことの繰り返しで、一週間250円のオコヅカイが月に30000円になっただけだ。
30000円のオコヅカイは、自由よりも規則に似ている。コンビニでペヤングを買って、帰りにブラックニッカもいい、タバコはアイコスもグローもためしたけれど、やはり紙巻き。
「いいかげん、タバコもお酒もやめなよ。一人の身体じゃないんだよ」と、嫁さんが怒鳴った。
3万円のオコヅカイはいつもタバコを吸うのだ。仕事から帰ると、前夜の食器が洗い受けにたまっているので、それをまず拭いて片付ける。ウィスキーグラスに氷を入れて、ブラックニッカをたっぷりそそぐ、そいつをフタクチミクチやったところで、換気扇のスイッチを入れ、タバコをくわえ、ライターで火をともす。
タバコの煙が換気扇に吸い込まれていくと、アルコールの匂いを連れて、平屋の賃貸が僕の目の前にやってくる。平屋の賃貸は懐古主義のさみしい男なのだ。
読んでくれてありがとう。明日も元気で!
多分僕もまた来ます。