ぴっぴ兄ちゃん
上体を後方にぐんと下げて、ハンドルを握る両腕がみなぎった。車体前方が地面を離れてタイヤが空を切る。 嘘みたいな荒技だ。ぴっぴ兄ちゃんかっけー!
ウィリー走行のままギャラリー(僕もいる)に向かって加速、もっと加速して!急ブレーキ!
ぴっぴ兄ちゃんは静かな笑みを私たちに向けます。スポーツタイプの自転車とそれに跨るぴっぴ兄ちゃんはユートピア公園のヒーローでした。
大人には働かなければならない理由がある。そして、子供たちと公園で遊ばなければならない理由もあるんですね。
町のあらゆる場所にぴっぴ兄ちゃんは現れました。ロケット公園、ユートピア公園、子どもの広場、駅前広場、幼稚園、小学校。全身はヒーローに相応しい赤いストライプの入ったトラックスーツ姿。顎には逞しい大人の男であることを示す青々とした黴髭。夏にはダブルソーダを丸ごと咥える自転車男。ぴっぴ兄ちゃんはいつも四歳から十歳くらいの子供たち数人と一緒にいました。
ぴっぴ兄ちゃんウィリーやって!かっけー!!
やまさんについて話さなければいけませんね。放課後、私とやまさんはコンクリ擁壁の排水パイプの中に手を突っ込んでいました。青春の楽しみ。秘密の共有は僕たちの友情を意味しています。
隠しておいたセブンスター。
「ライターしけってるわ」
「まじで! ちょ、かしてみ」
僕たちの一服は休憩のためになされるものではありませんでした。一服のための一服は巨大な虚栄心を生んで、幼い記憶を忘れさせてしまう。
「四組の大崎もヤニ吸ってるらしいわ」
「まじで! なめてんな。ちょーやっとく?」
煙草吸ったら、ゲーセン行って、スト2やって、龍虎やって、餓狼やって、帰ってシコって寝んべーや。
永遠によく似た退屈な時間の中では何をやっても軍装で日曜日のショッピングモールの中を徘徊しているようなものでした。
「ひまだわ。れいち」
「ひまだね。やまさん」
ある日のこと、 学校に行かなかった僕とやまさんは公園のベンチでブリックとセブンスターを交互に吸っていました。
「れいち、俺そこのガキども3分で全殺しする自信あるけど」
「はははは」
やまさんはいちごのブリックを飲み干すと、それを胸の前でぽいと宙に放り、落ちてきたところで思い切りよく蹴り飛ばしました。
桜の木々、山なりに跳ぶブリック、ジャングルジム、弧を描くブリック、ブランコ、落ちていくブリック、子どもの頭。
「うわ、やまさん、まずいよ」
「なにがまずいんだよ! あー?」
上体を後方にぐんと下げて、みなぎる両手でハンドルを握る。車体前方が地面を離れてタイヤが空を切った。 嘘みたいな荒技だ!ぴっぴ兄ちゃん!?
ウィリー走行のまま私たちに向かって加速、もっと加速して!急ブレーキ!
「ぴっぴじゃん。なんだてめー 」
「おいぴっぴ。なんか芸やれ」
鼻息を荒くしたぴっぴ兄ちゃんは私たちに近づきました。
「おい! お前たち! ゴミはゴミ箱に捨てないとダメ」
僕は少し皺が増えたぴっぴ兄ちゃんの肌を見ていました。ぱきりと乾いていて、草が転がり、岩影にトカゲを隠す荒野のようではないか。ああ、かように子供たちのヒーローは歳をとったのだ。なるほどそうか、人間は歳をとるのだ。
見るとブリックが頭に当たった少女は元気よく遊んでいました。
「うるせー! てめーみてーなシンショウに言われたくねーんだよ」
「いや、やまさん、やめようよ」
僕の共犯者に威勢よく怒鳴られたぴっぴ兄ちゃんは頭と顔を隠すようにして離れていきました。
いつからか、ぴっぴ兄ちゃんの姿は町のどこにも見当たらなくなったんです。
「やまさん、ぴっぴのこと、覚えてる?」
「あー、ぴっぴ? 懐かしいね。あいつは善人なんだよ。みんな気づいてなかったけど。本来なら表彰されて然るべきだよ」
今、僕を慕ってくれる子供なんて一人もいません。
読んでくれてありがとう。明日も元気で!
多分僕もまた来ます。