80年代うまれ(かながわ県)

80年代うまれの思い出し日記

デイ・キャッチ<横浜イチのラジオ狂い>

 昨年の夏の終わり、<横浜イチのラジオ狂い>は、オンボロアパートのぼろぼろベッドの定位置から姿を消した。
 かれに職はなく、あるのはラジオだ。
 まるで美味しんぼ海原雄山のように、かれは街のいく先々にあらわれた。かれは、街中の人から知られているが、かれのほうは街中の誰も知らない。ラジオの電波、周波数と反対に、実体を持った音無男だ。
 駅に向かって歩いていると、かれは駅からこちらに歩いてくる。片っぽイヤホンから神の福音でも与えらているかのように、笑顔で。
 かれとすれ違う人たちは、<横浜イチのラジオ狂い>を<横浜イチのラジオ狂い>と認めざるをえない。かれは、わずかに聞こえる声で、ラジオの音声をすべて声帯模写しながら歩いているのだ。もちろん音楽もジングルも、聞こえる福音のすべてだ!
 駅前喫茶店で<横浜イチのラジオ狂い>が座っているのを見れば、かれは水だけで笑っていることがわかるはずだ。
「えー、今日のメッセージテーマは『おせちにまつわるアレコレ』でいただいてまーす」
「うん。はーい。そうですねー、まーありますよねー、いろいろと」
「いろいろとねー。おせちはまー、日本の伝統? ですものね〜」
「そーですよ。風物詩ですね。ぼくー、なんかはまー。実家帰るじゃないですか、正月に」
「はいはい」
「するとですねー。やっぱあるわけですよ。おせちが、黒豆ーやら、まー栗きんとん? かまぼこー、えーあとなんだ、だて巻きーとかね」
「はいはい」
「まー!食べませんよね!」
「はっはっはっは! なんでよー」
「甘いじゃないっすか、なんかだいたい。甘いかしょっぱいで言ったらおせちって甘いの多くないっすか?」
 <横浜イチのラジオ狂い>の声は七色に変わった。喫茶店の店内で思いのほか<横浜イチのラジオ狂い>の声がでかいことに気づく。店員はかれがいなくなるまで、仕方なしにしている。
  <横浜イチのラジオ狂い>は駅から歩いて15分ほど、通り沿いの築50年のオンボロアパートに住んでいた。かれはいつも窓を開け放っていて、通りからはかれの生活が丸見えだった。
 僕はそこを通るほんの数秒でかれの声帯模写ラジオを何度も聴いたことがある。
 特に荒川強啓の模写はそのまんま強啓だった。
 年が明けて<横浜イチのラジオ狂い>がいたアパートは解体されて、かれの姿は街からも消えた。かれのラジオはどこへ行ったのか。
 「えー、番組冒頭でも触れたんですけれども、えー、このー、デイキャッチ、うー、今年の3月いっぱいで終了と! おー、いうことを発表させていただきました」
<横浜イチのラジオ狂い>は荒川強啓デイキャッチの終了にさいして、笑顔のままでいられるのか?
 僕は解体の仕事をしていた手を止めて、そんなことを考えながらオンボロアパートの窓の外を眺めた。片っぽイヤホンからは忌野清志郎の知らない歌が聴こえていた。

 

 

 

 

読んでくれてありがとう。明日も元気で!

多分僕もまた来ます。